- 写された文明開化 ―横浜・東京・街・人びと―
第1図
結髪・帯刀の伊藤博文
内田九一が横浜馬車道の
写真館で撮影。
横浜開港資料館所蔵
第2図
鬚を蓄えた大礼服姿の
伊藤博文
明治10年代。
横浜開港資料館所蔵
明治初期は日本の歴史のなかでもとくに急激な変革の時代でした。文明国を自認する欧米諸国から未開国扱いされていることを知った日本人は、猛烈な勢いで文明国の仲間入りを目指します。それが「文明開化」でした。
今回の企画展示「写された文明開化」はその諸相、とくに近代都市として生まれ変わろうとする横浜と東京、そこで生活する人びとの表情を、主として横浜開港資料館の所蔵する古写真を通じて、目に見えるものとすることを目的としています。展示の構成に沿ってその内容を紹介します。
「写真でみる文明開化」と「各地の風景」
文明開化と言っても、為政者と庶民ではかなり隔たりがあったように思われます。為政者のほうが性急であり、もっとも手っ取り早い方法は欧米諸国の真似をすることでした。模倣の対象となったのは、ヨーロッパで形成された近代的主権国家、中央集権的で、強力な常備軍と排他的な領土を持つ国民国家でした。
そうした国家を建設するのに妨げとなる制度や風習は「野蛮」なものとして排除されました。槍玉に挙げられたのが「封建制度」を体現する階級、チョンマゲに二本差しの非生産的な階級、すなわち武士であり、廃藩置県から散髪廃刀を経て秩禄処分に至る武士階級の解体と、四民平等や国民皆学・皆兵による、近代国家を担う国民の創造が同時に進められました。それを大半が武士階級出身の政治家たちがやってのけたことには改めて驚かされます。
第1部「写真でみる文明開化」では、これらの事象に関する写真や関係資料を「断髪と洋装」「徴兵令と軍隊」「学制と教育」のコーナーで紹介します。また、文明の象徴とみなされた新しい施設である鉄道や洋風建築は、「人力車と鉄道」「洋風建築」のコーナーで紹介するとともに、第2部「各地の風景」で、それら新しい施設が点在する横浜、神奈川県内各地、東京の風景をピックアップして紹介します。



第3図
横浜郵便局と町会所
右手前が郵便局、
その向こうは電信局。
左側、時計塔のあるのが
町会所(貿易商の会館)。
人工着色。
横浜開港資料館所蔵
第4図
第一国立銀行
明治初期を代表する
和洋折衷建築。
三井組ハウスとして
明治5(1872)年に完成、
翌年第一国立銀行となる。
現在の日本橋兜町。
臼井秀三郎撮影。人工着色。
横浜開港資料館所蔵
第5図
銀座煉瓦街
銀座4丁目交差点から
京橋方向を見る。
明治5(1872)年の大火ののち、
新橋から京橋にかけて、
ウォートルスの設計により
煉瓦造建築の市街が建設された。
『ファー・イースト』
5巻6号(明治7年6月)。
横浜開港資料館所蔵

第6図
馬車道の枡屋
製茶問屋の初荷風景。
常盤町4丁目所在。
鈴木真一撮影。
人工着色。
横浜開港資料館所蔵

第7図
読書する若い女性
人工着色。
横浜開港資料館所蔵
「明治の人びと」
生活者としての庶民にとっては、文明開化はより緩やかな過程であったように思われます。明治初期の写真に写し撮られたその姿は、江戸時代と基本的には変わりません。一時洋装が流行したこともありましたが、結局普及しませんでした。和服で不都合なかったからです。外来のものを拒否したわけではなく、石鹸やマッチなど便利なものはすばやく摂取されたし、帽子や洋傘、靴も和服とセットで利用されました。第3部「明治の人びと」では、「横浜の商店」「働く人びと」「生活点描」「失われた習俗」のコーナーに分けて、当時の庶民の表情を捉えた写真を紹介します。

第8図
スタジオで
ポーズをとる女性
明治初期。
新たに発見された
下岡蓮杖の写真の一つ。
横浜開港資料館所蔵
「カメラマンのプロフィール」
幕末・明治の横浜は際立って写真の盛んな土地であり、多数のカメラマンが活躍しました。第4部ではそれらを三つの時期に分けて紹介します。
「幕末」では、開港と同時に来日して江戸や神奈川の各地を撮影したスイス人P・J・ロシエ、横浜に日本初の写真館を開いたアメリカ人O・E・フリーマン、その仕事を引き継ぎ日本人初の写真館を江戸で開いた鵜飼玉川(ぎょくせん)、横浜最初の日本人職業写真家となった下岡蓮杖(れんじょう)、ともに優れたイギリス人カメラマン、W・ソンダースとF・ベアトを紹介します。
「明治初期」では、今回展示される写真を撮ったカメラマンたちが紹介されます。ベアトの弟子でオーストリア人のR・シュティルフリート、東京でも活躍した内田九一と清水東谷、下岡蓮杖の弟子の臼井秀三郎と鈴木真一です。これらの人びとによって、横浜写真業界の全盛期が準備されます。
「明治中期」は、風景・風俗写真に手彩色を施し、外国人を顧客として販売される「横浜写真」が全盛期を迎えた時代です。その担い手となったのは、ベアトの弟子の日下部金兵衛、シュティルフリートの事業を継承したイタリア人A・ファルサーリ、商業的にはもっとも成功した玉村康三郎らでした。
特設コーナーの「下岡蓮杖・内田九一写真鑑定術」と合わせてご覧いただければ、より興味深いものとなるでしょう。ここでは鑑定によって新たに判明した下岡蓮杖の写真を12枚展示します。

第9図
フルベッキとその弟子たち
佐賀藩が長崎に設立した
致遠館で英学を教えていた
フルベッキと生徒たち。
明治元(1868)年。
上野彦馬撮影。
横浜開港資料館所蔵
「特設コーナー」
このコーナーは前期(9月14日〜10月31日)と後期(11月1日〜来年1月14日)で展示替えを行います。
前期は「明治天皇とその周辺」と題し、束帯姿や彩色された軍服姿の明治天皇の肖像写真を中心に、「皇族・公家の出身者」「薩長閥の政府高官」「薩長政府に反対した人びと」「将軍ゆかりの人びと」「神奈川県の創設者」に分けて肖像写真を紹介します。束帯・烏帽子姿に洋靴を履いた岩倉具視像など、変革の時代を具現する興味深い写真もあります。
後期は「西南戦争と西郷隆盛の写真の存否」と題して関係資料を展示します。中心をなすのは、A・H・マウンゼイ(Augustus H.Mounsey)の著作『薩摩の反乱』(The Satsuma Rebellion)ですが、横浜開港資料館にはその特別なバージョンが所蔵されています。ページの間に間紙を挟み、人物や場所の写真を貼り付けたものです。その中には長崎の上野彦馬が撮影した戦場の写真や政府軍の総督有栖川宮熾仁親王、参軍の山県有朋、川村純義、西郷軍の桐野利秋、別府晋介らの写真が含まれているのに、西郷隆盛の写真がありません。西郷隆盛の写真がこの世に存在しないことの有力な証拠と言えるでしょう。
これまでに西郷隆盛の写真と誤認された、いわゆる「偽西郷」がいくつかあります。西南戦争に際して西郷軍の三番大隊長となった永山弥一郎(いわゆる「永山西郷」)、薩摩藩の医師
(いわゆる「小田原西郷」)などです。西郷のみならず明治維新の志士たちが一堂に会した写真だという憶説で有名になった上野彦馬撮影の「フルベッキとその弟子たち」も展示します。
斎藤多喜夫