- ジェラールの故郷を訪ねて ―墓に刻まれた来日・離日の記録―
ランス訪問
横浜居留地を舞台に、フランス瓦の製造や船舶給水などの事業を展開したフランス人実業家アルフレッド・ジェラール(
)については、これまで多くの人が関心を寄せ、そして研究を積み重ねてきた。近年では、横浜開港資料館の調査によって出生地と生没年が判明し、さらには横浜時代の肖像写真も発見された。
その成果によると、ジェラールは1837年、パリの東北にあるランス(
)に生まれ、20代の後半に来日する。そして晩年は故郷のランスで金利生活者として暮らし、1915年に77歳で生涯を終えている。その後、遺言にしたがって、ジェラールの遺産をもとに農業サークルが設立され、農業関係を中心とした彼の蔵書が収められた。時期は前後するが、ジェラールが収集した日本関係の美術品も、1891年にランス市に寄贈されている(中武香奈美「ジェラールの出生・死亡証明書」『開港のひろば』第39号、同「ジェラール(1837〜1915)故郷、ランス市に錦を飾る」『同右』第50号)。
当館でも昨年の企画展「地中に眠る都市の記憶」を機に、ジェラールが製造したフランス瓦や煉瓦について調査を進めている。この春、わずか一日の短い滞在であったが、ジェラールの故郷ランスに赴く機会が得られた。

1 ジェラール財団の
図書室
(撮影:加藤耕一)

2 図書室にある
ジェラール胸像
(撮影:青木祐介、
以下同)
ジェラール財団にて
私が訪問したのは、ジェラールの遺産をもとに設立されたランス農業サークル(
)である。彼の蔵書が収められていることから、フランス瓦や煉瓦の製造に関して、何か手がかりはないかと問い合わせたのだった。
現在、サークルの活動は農業会館(
)に継承されており、私は会館1階にある図書室へと案内された。サークルを運営するジェラール財団のワルボム(
)会長をはじめサークルのメンバー、そして地元の郷土史家ギュイヤール(
)氏が私を出迎えてくれた。
蔵書を拝見しながら、私はジェラールの知名度がランスではどの程度なのか尋ねてみた。彼らによると、ジェラールは地元の農業発展に貢献のあった技術者として、とくに農業組合の関係者によく知られているのだという。瓦製造や船舶給水で知られる横浜とは、ずいぶん状況が違っていた。
確かに、ランスはシャンパンの生産地として知られるシャンパーニュ地方を代表する都市であり、街の中心部を少し離れれば、ブドウ畑が一面に広がる光景が立ち現れる。「どうして君は瓦に興味をもつようになったんだ?」彼らの素朴な疑問も、もっともなことであった。
残念ながら、図書室では私が求めていた資料には出会えなかったが、彼らと一緒に訪れたジェラールの墓前で、驚きの発見をすることになった。

3 ブザンヌ町の墓地

4 ジェラールの墓

「文久三亥年八月九日横濱入来
明治十一年七月一日横濱出立
アルフレド
ジ ラ ル」
5 墓石に刻まれた来日・離日の年号
ジェラールは明治11年に帰国?
この日付が、ジェラールが横浜港に降り立った日と横浜港から旅立った日を示すことは疑いないであろう。帰国後何らかの機会に日本の職人に彫らせたのであろうか。墓に刻ませるほど、横浜での日々がジェラールにとって特別な意味を持っていたことを物語っている。
ジェラールの来日・離日の時期については、これまで決定的な資料を欠いていた。ディレクトリー(外国人住所録)の記載から、1863年には来日していたと推測され、また製造年の入ったジェラール瓦の下限が1889年であること、1891年にランス市に美術品を寄贈していることから、1889―90年頃帰国とする説が有力であった。
彫られた日付をみると、文久3年8月9日(1863年9月21日)という来日時期は、これまでの推測と矛盾はしない。一方、明治11(1878)年という帰国年は、従来の説からはおよそ10年も遡るものである。
じつはこの日付はすでに先行研究のなかで示されていた。当時の外国語新聞を丹念に調べられた澤護氏は、明治11年7月1日にジェラールがパシフィック・メール郵船の船で出港した記録をもとに、ただ一人、明治11年帰国説を唱えていたのである(澤護「アルフレッド・ジェラール―横浜に於ける水屋・瓦屋の魁―」『千葉敬愛経済大学研究論集』第32・33合併号)。
日付まで一致しているのだから、帰国年については決定的と言ってよいだろう。私たちが思っていたよりも早く、ジェラールは横浜を去っていた。その活動はおよそ15年。フランス瓦の製造に関していえば、開始からおよそ5年で横浜を後にしたことになる。
ただし、来日の日付に関してはいまだ裏づけが取れていない。今後は、この新資料の情報を含めて、ジェラールに関する既往の情報の再整理・再検討をおこなう必要があろう。その作業については稿をあらためたい。
ランスでは、ジェラール財団のワルボム会長、ブザンヌ町のギュイヤール氏をはじめ、多くの方の歓迎を受けた。西堀昭氏(横浜国立大学名誉教授)からは訪仏前に墓地についてご教示いただき、また滞在中は加藤耕一氏(パリ第四大学:当時)、RONSIN三好章子氏(日仏友好協会)に通訳などで助けていただいた。皆様に深く感謝いたします。
(青木 祐介)