横浜都市発展記念館

ハマ発 NEWS LETTER
  • ―常設展示より― 横浜の歴史とともに歩む 桜木町駅物語

−常設展示より−

横浜の歴史とともに歩む

桜木町駅物語

第7号 2006年11月

昭和39年に根岸線ができるまで、桜木町駅は横浜の都心に一番近い駅であった。桜木町経由、市電や市バスを使って通勤・通学するのは当たり前のことだった。だから駅前ではいろいろな行き先のいろいろなバスがひっきりなしに発着していた。

子どもの頃、「野庭口行き」ってなんて読むんだろう、「のにわぐち」か「やばこう」か(正しくは「のばぐち」)、どんなところなんだろう、と頭をひねりながらバスを眺めているのは楽しいことだった。成人してから自分が野庭団地に住むことになろうとは思いもよらず、またこの駅が日本最古で、ここが鉄道発祥の地だとも知らず。

第7号 2006年11月

明治末頃の初代桜木町駅舎

(初代横浜駅)

大江橋越しに見る。

横浜開港資料館所蔵絵葉書

桜木町駅が最初の横浜駅

桜木町駅の地は、開港前は海苔ひびの連なる海だった。京浜間に鉄道を敷設するということでにわかに埋立が進み、明治5年9月ここに駅舎が完成、12日には盛大に開業式が挙行された。

アメリカ人建築家ブリジェンスによって東京の新橋駅と同じデザインで設計された初代横浜駅は、文明開化を象徴する建物の一つだった。大正4年高島町に2代目横浜駅が完成し、横浜駅としての地位と名称を失って、桜木町駅といういかにもローカルな名称に変わりながらも、横浜市民にとっては重要性を失うことなく、大正12年の関東大震災で倒壊するまで、半世紀にわたって働き続けた駅舎だった。

第7号 2006年11月

昭和初期の

2代目桜木町駅舎

大江橋から見る。

横浜開港資料館所蔵絵葉書

2代目桜木町駅舎

震災後、多くの公共施設が最新の鉄筋コンクリート工法で再建され、震災前に勝るとも劣らない威容を誇ったのに対して、昭和2年に再建された桜木町駅舎は木造モルタル塗りであった。昭和20年の横浜大空襲で周囲が焼け野原となりながら、駅舎は奇跡的に焼失を免れた。平成元年市制百周年を記念して開催された横浜博覧会の開幕に合わせて、新駅舎を開設するために解体されるまで、じつに約60年間働き続けたのである。先代に劣らぬ働き者であった。

お世辞にも立派とはいえないこの駅舎は、かえって戦後のこの地域の雰囲気になじんでいたともいえる。西側の野毛地区には露天商が密集し、東側の新港埠頭では多数の港湾労働者が働いていた。夕暮れ時、大岡川河畔、大江橋際の酒屋の前で、一杯やりながら疲れを癒す港湾労働者の黒山のような人だかりも忘れられない光景である。

幻に終わった桜木町民衆駅構想

昭和20年代後半から30年代にかけて、戦後復興が徐々に軌道に乗り、市内は活気を取り戻しつつあった。33年の開港百年祭に向けて、新市庁舎の建設や横浜市史の編纂が進められた。符節を合わせるかのように、桜木町民衆駅構想が浮上したのは26年、30年から32年にかけて本格化した。

民衆駅というのは、国鉄が地元の資金協力を得て駅舎を建設し、商業施設を併設することによって利益を地元に還元するというアイディアである。桜木町民衆駅構想は、戦災をかいくぐり、健気に働き続けているとはいえ、いかにもみすぼらしい駅舎をこの手法で蘇らせ、あわせて周辺商業地区の活性化を図ろうという計画であった。しかし国鉄側の反応は鈍く、30年に十河(そごう)信二新総裁が就任してからようやく前向きに検討が開始され、32年には構想も具体化して許可を待つばかりとなった。

桜木町駅設立準備委員会が立案した構想は、地下2階・地上8階建、延床面積約1万坪、総工費15億円、地下は機械室、1・2階を国鉄に無償で提供し、7階までは商業施設、8階には音楽・演劇ホール、屋上にはヘリポートを設け、さらに野毛山方面に向けて空中ケーブルカーを設置するという壮大なものであった。

32年9月中には国鉄民衆駅審議会で許可が出るものとばかり思われていたのだが、意外にも期待は外れてしまった。なぜか許可が下りなかったのである。残念ながら野毛山にロープウェイを架け渡すという斬新なアイディアも夢と消えてしまった。(以上、『神奈川新聞』昭和30年7月17日号及び32年8月7日号による。)

第7号 2006年11月

1955(昭和30)年頃の

桜木町駅付近

広瀬始親氏撮影寄贈・

横浜開港資料館所蔵

現在の桜木町駅

現在、桜木町駅周辺では、地上を根岸線の高架が走り、地下には高速道路の神奈川1号横羽線と市営地下鉄が走る多重立体交差が行われている。この地が交通上のキー・ポイントであることは昔と変わらない。

東側には貨物駅の東横浜駅と三菱重工業横浜造船所の跡地を再開発した最新市街のみなとみらい地区が広がり、西側は大道芸や大衆芸能を“売り”にユニークな街づくりを進める野毛地区と「野毛ちかみち」という地下道で結ばれている。相変わらず賑やかな駅ではあるけれども、ガード下に改札口や事務所があるだけの、駅舎の態をなさない現在の桜木町駅は、初代横浜駅の歴史を知り、2代目桜木町駅舎に郷愁を抱く者にとっては少しさびしい。

(斎藤多喜夫)