- ハマの土管、海を渡る ―仁川広域市立博物館を訪ねて―

1 仁川広域市立博物館

2 特別展パンフレット
海を渡った土管
この夏、当館の所蔵資料がはじめて海外の博物館で紹介される機会に恵まれた。
海外デビューの舞台となったのは、韓国の仁川(インチョン)広域市立博物館で開催された特別展「都市紀行―上海・横浜・仁川」(2006年7月10日〜9月10日)である。同館からの出品依頼を受け、明治期の土管や鉄道レールなど、近年の地下遺構調査で出土した遺物類が海を渡っていった。また横浜開港資料館からも、石版画「ペリー横浜上陸図」をはじめ、居留地境界石などの貴重な資料が多数出品された。
同館からはあわせて開幕式典への招待も受け、当館および開港資料館では、高村直助館長(両館兼任)と2名の調査研究員が仁川を訪問し、特別展のオープニングに同席することとなった。当館にとって、開館以来はじめての国際交流の機会である今回の韓国訪問について、この場を借りて報告したい。
韓国の開港場・仁川
ソウルの西およそ30kmに位置する仁川は、国際空港のある韓国の空の玄関として知られているが、横浜と同じく、開港をきっかけに近代都市として急成長を遂げた港湾都市である。
仁川が開港したのは1883年のこと。1876年に締結された日朝修好条規で、釜山のほか二港の開港が定められたが、済物浦(チェムルボ)と呼ばれる小さな港だった仁川は、首都漢城(現在のソウル)への玄関口としての重要性から、釜山(1876年)、元山(1880年)に続いて、1883年1月に開港した。
開港後の仁川では、日本専管居留地が設定され、それを取り囲むように清国の専管租界や各国の共同租界が設けられた。領事館や税関の建設とともに市街地が造成され、沿岸部では港湾施設の整備がおこなわれた。背後の丘陵地には韓国最初の洋風公園(現在の自由公園)も開園し、やがて居留地には洋風建築が建ち並ぶ街並みが出現した。
こうした一連の都市形成の過程からは、横浜と多くの共通項を見いだせる。むろん、その後の両都市の歴史を考えれば、都市構造や都市施設という類似点のみを取り上げて、似ていると結論づけられるほど単純な話でないことは言うまでもない。その意味で、上海を含めた三都市を比較対象とする今回の特別展は、東アジアの開港場というより大きな視野のもと、各都市を位置づける試みであったといえる。

3 常設展 居留地ジオラマ
模型

4 特別展 仁川の洋風建築

5 特別展 横浜の都市基盤
整備
都市紀行―上海・横浜・仁川
仁川広域市立博物館は、第二次世界大戦後まもない1946年4月に設立された、韓国でもっとも古い歴史をもつ公立博物館である。原始・古代から近代にいたる仁川市域の歴史を取り扱った総合博物館で、今年が開館60年の節目にあたることから、博物館の増築と常設展示のリニューアル、そして特別展「都市紀行―上海・横浜・仁川」が企画された。
オープン当日には、開館60周年を祝う式典がおこなわれ、その様子は地元のテレビ・新聞でも大きく取り上げられた。特別展も好評で、4万人を超える来場者を記録したという。
特別展は、上海、横浜、仁川という東アジアの三つの開港場をとりあげ、その都市形成の歴史を比較するものであった。展示は九つのコーナーから構成され、開港前の都市風景、開港過程、租界の形成と拡大、近代建築と都市風景、都市の基盤施設、商工業と貿易都市への発展、近代文物の伝来と都市の変化、都市の外国人、都市の試練と再生、とテーマごとに三都市の資料が並列して展示されていた。古写真や絵葉書、地図などの画像資料が大きな壁面に散りばめられ、非常に華やかな展示空間であった。
当館からの出品資料は、いずれも昨年の企画展「地中に眠る都市の記憶」で紹介した近代の出土遺物で、鉄道開
業時の双頭レールと徳利(第二代横浜駅跡地出土)、居留地の下水道に用いられていた土管と枕木(日本大通り出土)である。
これらは都市基盤の整備を扱ったコーナーで紹介されていたが、意外にも仁川側の資料は、郵便ポストや電球、碍子など比
較的新しい時代のものが多かった。学芸員によると、仁川では近代の遺物はなかなかないのだという。その状況は横浜でも同じである。近代遺跡と言ってみても、調査の機会さえつかめない場合が多いのだから。
今後は、仁川でも積極的に近代遺跡に目を向けたいとのことである。そのときには、当館で進めている近代遺構・遺物調査の成果が、きっと有用な資料となってくれることであろう。開港場という両都市の共通点を端緒としてお互いの研究が深まることを歓迎したい。

6 旧日本領事館
(現・中区庁舎)

7 旧第十八銀行仁川支店
活用がすすむ仁川の近代建築
さて今回の訪問では、わずか一日ではあるが、戦前の近代建築が残る仁川市内の旧居留地を見学することができた。
仁川は朝鮮戦争のときに連合軍の上陸作戦の舞台となったため、市街地の大部分は破壊を受けている。しかし現在でも、旧日本領事館(現・中区庁舎)をはじめ、仁川郵便局、旧第一銀行仁川支店など、市内各所に戦前の近代建築が残っている。
その中のひとつ、旧第十八銀行仁川支店を訪問した。現在、近代建築博物館として整備中とのことで、工事中の館内を特別に拝見させていただいたが、展示室には床面いっぱいに仁川の地図が広がり、近代建築の模型やCG映像、情報端末つきの居留地ジオラマ模型など、ヴィジュアル重視の展示手法が駆使されていた。また建物そのものを歴史資料として捉え、壁面をガラス貼りにして、当時の煉瓦壁を見せる箇所もあった。これは、日本の歴史的建造物の活用でもよく見られる手法である。
しかし、ひとつの都市の歴史を近代建築という切り口で紹介する博物館は、日本ではほとんど例がない。それだけに、現在の仁川の街づくりにおいて、近代建築の活用がハード・ソフトの両面でいかに重視されているかを感じさせられた。建築専門の博物館としてユニークな存在となるであろう。
一方で、旧居留地内には、上記のような文化財クラスの建築以外にも、古びた小規模店舗がそこかしこに残っている。こうした無名の歴史的建造物群も含めて歴史的環境をどのように継承していくかが、今後、議論の焦点となっ
ていくのではないか。
現在、仁川では急速に都市開発が進んでおり、臨海部の様相はさながら横浜のみなとみらい地区を彷彿とさせ
る。そのなかにあって、過去の歴史遺産をどのように現在の都市の豊かさとして取り込んでいくのか。都市仁川の未来像に期待するものは
大きい。
最後に、このたびの訪問では、仁川広域市立博物館の尹龍九氏、裴晟洙氏、李羲仁氏をはじめ、多くの方々から熱い歓迎を受けた。この場を借りて御礼申し上げるとともに、特別展の成功を心からお祝い申し上げたい。
(青木 祐介)