- 明治初期の横浜市街全景写真 ―カメラがとがとらえたまちづくりの胎動胎動―
明治初期の
横浜市街全景写真
−カメラがとらえたまちづくりの胎動−

昭和初期の横浜市街全景写真
1874(明治7)年頃 鈴木真一撮影・当館所蔵
企画展示「地中に眠る都市の記憶―地下遺構が語る明治・大正期の横浜―」にて一部パネルで紹介しています。

横浜市街全景写真:右側
横浜の市街は山手と太田の二つの丘に囲まれた平地に発達した。この写真は太田丘陵の突端に位置する伊勢山から市街の全景をとらえたもので、近景の新旧建造物は、そのディテールが手に取るようによくわかる。
右手前(
)の野毛地区を見ると、大きな長屋が目に留まる。これは神奈川奉行所の役人の宿舎として建てられたもので、そのまま神奈川県庁の官舎として使われていたのであろう。
木立の向こうに霞んで見えるのは、旧吉田新田地域に形成途上の比較的若い市街、その向こうに山手丘陵が見えている。
丘陵突端の手前(
)に見えている二つの洋風建築は、右が蓬莱社(ほうらいしゃ)、左が外務省接客所、大岡川河口に横浜駅と面して建っていた。ここは関内と呼ばれる都心の縁辺に当たる。その左手遠方には町会所(現在横浜市開港記念会館所在地)の時計塔や税関(のち県庁、現在県庁旧庁舎所在地)がかすかに見えている。
画面中央(
)は横浜駅(現在桜木町駅所在地)、プラットホームから左へ海岸沿いに、高島嘉右衛門が埋め立てた鉄道用地が延びているが、鉄道沿線にはまだほとんど建物が建っていない。

横浜市街全景写真:左側
この写真の圧巻は、なんといっても左手前(
)に大きく写っているガス会社(現在本町小学校所在地)であろう。高島嘉右衛門がフランス人技師プレグランを招いて建設を進め、1872(明治5)年9月に竣工、横浜市街に日本最初のガス灯を点した。当館中庭には、ガス会社跡から発掘された国内最古のガス管が展示されている。
画面左端(
)の崖は埋立用の土取場であろう。この上を伊勢山皇大神宮の参道が通っていた。崖の縁に建つ家屋は参道沿いの茶屋のように見える。この写真は参道よりやや下、崖の中途から撮影されたようである。
撮影者は画面に書き込まれた漢数字と算用数字の特徴から、横浜を代表する写真家の一人、鈴木真一と考えられる。撮影時期は、ともに1874(明治7)年に竣工した町会所と外務省接客所が写っているので、およそその頃のことと推測がつく。画像はきわめてシャープであり、水平線を始め7枚の写真が寸分の隙もなく接合されている。高度な撮影技術に裏打ちされたパノラマ写真として写真史上の価値も高い。
(斎藤多喜夫)