横浜都市発展記念館

ハマ発 NEWS LETTER
  • 常設展示より 横浜と野球
第5号 2005年10月

ベーブ・ルース

(横浜公園野球場にて)

『横浜グラフ』

(1934年)より

当館所蔵

−常設展示より−

横浜と野球(ベースボール)

ここに紹介した写真は、当館常設展示「ヨコハマ文化」ゾーンの「するスポーツ、みるスポーツ」のコーナーにパネルが展示されています。

1934(昭和9)年11月2日、アメリカ・メジャーリーグの選抜チームが横浜港に上陸した。ヤンキースのスーパースター、ベーブ・ルースをはじめ、同じくヤンキースの鉄人ルー・ゲーリッグなど、そうそうたる顔ぶれであった。迎える日本には、まだプロ野球が誕生しておらず、学生野球のOB選手などが集められ、全日本チームが結成された。沢村栄治、スタルヒン、三原修、水原茂、中島治康などがこの中にいた。

日本とアメリカの野球の試合は、第1戦の神宮球場を皮切りに、甲子園球場、名古屋の鳴海球場、静岡の草薙球場のほか、仙台、富山、小倉など全国の各地をめぐって開催された。そのうち第9戦(11月18日)の舞台となったのが横浜である。

横浜の野球の歴史は古く、明治の初期より居留地の外国人が横浜公園で野球を楽しんでいた。やがて横浜商業学校(Y校、現横浜商業高校)などの学生を中心に日本人による野球の試合も行われるようになった。昭和に入ると、1929(昭和4)年に横浜公園野球場が完成。本格的なスタジアムが横浜に誕生した。

日米野球が行われたのはもちろんこの球場である。試合は21対4でアメリカの圧勝。3番ベーブ・ルース、4番ルー・ゲーリッグに連続ホームランが飛び出している。ルースはさらにもう1本、特大のホームランを放った。写真は全米チームのユニフォームを着たルースである。

この年、集められた全日本チームをもとに大日本東京野球倶楽部(東京巨人軍、現読売ジャイアンツ)が創立された。そして、大阪野球倶楽部(大阪タイガース、現阪神タイガース)、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)などの球団が続々と結成され、1936(昭和11)年よりリーグ戦が始まっている。日本のプロ野球の誕生で

ある。

なお、横浜公園野球場は戦後、ゲーリッグ球場、横浜平和球場と名を変え、半

世紀にわたって市民に親しまれた。1978(昭和53)年、横浜スタジアムとして生まれ変わり、横浜初のプロ球団・横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)のフランチャイズ球場と

なった。

(岡田 直)

参考文献

池井優『白球太平洋を渡る』中公新書(1976年)

小玉順三『横浜と野球 Y校の明治・大正・昭和戦前期野球史』(1987年)

『横浜もののはじめ考』横浜開港資料館(1988年)

横専vsY専
 プロ野球の人気が絶大なものになるのは、戦後のことである。戦前は、発足したばかりの職業野球よりも、東京六大学野球や中等学校野球(現在の高校野球)など、学生野球のほうが断然人気があった。横浜では、「ハマの早慶戦」と呼ばれた横浜高等商業学校(横浜高商、現横浜国立大学)vs横浜高等工業学校(横浜高工、現横浜国立大学)の定期戦が人気を呼び、また、甲子園を目指してY校が活躍した。
 写真は横浜公園野球場で行われた横浜専門学校(横専、現神奈川大学)vs横浜商業専門学校(Y専、現横浜市立大学)の試合開始の様子である(『横浜グラフ』より)。今と違って背番号をつけていない。