横浜都市発展記念館

ハマ発 NEWS LETTER
  • みなとみらい線元町・中華街駅(山下公園) 駅に刻まれたまちの歴史
第2号 2004年4月

みなとみらい線の

Y500系車両

みなとみらい線元町・中華街駅(山下公園)

駅に刻まれたまちの歴史

2004年2月1日、みなとみらい線が開通した。みなとみらい線の駅は、渋谷寄りから横浜、新高島、みなとみらい、馬車道、日本大通り(県庁・大さん橋)、元町・中華街(山下公園)の6駅である。

みなとみらい線は、近代横浜の原点というべき場所をつらぬく路線である。鉄道創業のために埋立られた高島町、横浜ドックの跡地であるみなとみらい地区、開港場内の繁華街として発達した馬車道、日本人市街と外国人居留地との境界路であった日本大通り、そして外国人居留地の中の中華街、旧横浜村の住民が移住してつくられた元町である。それぞれの駅名の由来をたどれば、横浜の中心部の近代史がわかるといっても過言ではない。

ここではそのうち、元町と中華街の歩みについて概観したい。

第2号 2004年4月

元町通り

1920年頃

横浜開港資料館所蔵

絵葉書

第2号 2004年4月

元町

1957(昭和32)年

広瀬始親氏撮影・寄贈

横浜開港資料館所蔵

元町の歩み

開港以前、横浜村には半農半漁の百戸あまりが暮らしていたが、その場所に開港場が建設されることになった。1860年(万延元年)、幕府は横浜村の住民に移住を命じ、人々は山手の山すそへと移り住んだ。これが元町の始まりである。

まもなく、堀川が掘られ、元町は開港場である関内と切り離された。村の人々は山すその細長い土地での生活をよぎなくされ、農地や海での暮らしの場を失った。

しかし、元町は関内と山手を結ぶ土地でもあった。山下居留地の整備、山手への英仏軍の駐屯、山手居留地の拡大などにより、外国人への生活物資の需要が拡大していく中で、旧横浜村の人々は、幕府から支給された作徳料という補償金を元手に、新しい職業を営むようになる。

山下居留地が外国商館が建ちならぶ商業地であったのに対し、山手居留地は住宅地として開発された。外国人の住宅、病院、学校、教会、劇場、公園、墓地などが設けられた。こうした外国人の生活を支えるため、さまざまな物資・サービスを提供する町として、元町は発展していく。

元町通りはパン、西洋菓子、洋裁、クリーニングなどの店や、絵葉書屋、写真館などで賑わった。また元町は職人の町としての一面もあり、その代表が横浜家具といわれる西洋家具である。

時代がくだり外国人居留地がなくなっても、横浜は外国航路が開かれた街として長らく日本の表玄関であった。元町は各国の人々が行きかう横浜のハイカラな文化・ファッションを担う場として、現在もさまざまな元町ブランドを全国に発信している。

第2号 2004年4月

クリペの横浜絵図面

1865年

横浜開港資料館所蔵

赤線で囲ったあたりが

中華街。

第2号 2004年4月

中華街大通り

1920年頃

横浜開港資料館所蔵

絵葉書

第2号 2004年4月

中華街大通り

1959(昭和34)年

広瀬始親氏撮影・寄贈

横浜開港資料館所蔵

中華街の歩み

中華街を歩いていると方向がわからなくなる、という話をよく聞く。それは、他の関内地区の道路が海岸線にそって平行あるいは垂直に通っているのに対して、中華街の道路は海岸線に斜めに切りこむ方向になっているためである。

幕末に横浜の港が開かれた頃、中華街のあたりは横浜新田とよばれていた。中華街の道路が斜めになっているのは、横浜新田のあぜ道のなごりと言われる。開港場の整備が追いつかず、急いで造成したために、あぜ道の形が残ってしまったのだろう。

開港場横浜には、世界各地の人々が訪れ、広東・香港・上海からも大勢の人々がやってきた。当時、西洋人は日本語がわからず、日本人は西洋の言葉や商習慣についての知識はほとんどなかった。一方、広東・香港・上海の西洋商館で働いていた中国人は、西洋の言葉や商習慣に通じ、日本人とは漢字で筆談ができた。そのため、多くの西洋人が横浜進出に際して、中国人を伴ってきたのである。中国人は西洋人と日本人との間に立ち、取引の現場で重要な役割を果たした。

貿易の面ばかりでなく、新しく開かれた町で自らの技術を生かそうと、西洋建築、ペンキ塗装、活版印刷、ピアノ製造など、さまざまな新しい技術をもった中国人が横浜を訪れた。

こうした中国人が居留地の一角に商店を開き、関帝廟や学校を建て、中華街を築いていった。1877(明治10)年には横浜在住中国人1142人のうち、ほぼ半数が現在の中華街に住んでいたという記録がある。

現在、中華街は中華料理店、食材店、物産店を中心に約500の店舗で賑わい、年間2000万人あまりが訪れる横浜を代表する観光地となっている。

第2号 2004年4月

元町・中華街駅

プラットホームの様子

駅に刻まれた街の歴史

さて、今回開業した元町・中華街駅の構内は、元町や中華街の歩みも踏まえて、居留地時代の歴史をテーマにデザインされている。建築家伊東豊雄氏の作品である。

地上の入口からプラットホームに到るまでの壁面に、横浜開港資料館が所蔵する元町、中華街の歴史写真や浮世絵など、約200点の史料が焼きつけられた陶板がはめこまれている。陶板の大きさは縦横1メートル、使用した枚数は3300枚にのぼる。

中華街側の入口から地下におりるコンコースには、ガス灯や英字新聞など居留地の文物を伝える史料、元町側の入口から地下に下りるコンコースには居留地時代の人々の姿が壁面を飾っている。プラットホームは、主として90年ほど前の元町、中華街、海岸通りなどの風景絵葉書で構成されている。新しい駅によみがえった明治・大正の街並み。元町・中華街駅は、多くの人々をこの街にいざなう窓口になるとともに、横浜の歴史を発信するステーションともなるだろう。

横浜都市発展記念館の企画展「みなとみらい線開通記念 横浜地下鉄物語」では、元町・中華街駅の構内のデザインを紹介するとともに、そこで使用された絵葉書や石鹸商標、外国商館の刻印付懐中時計などの原資料を展示している。

(横浜開港資料館 伊藤泉美)