- それは路面電車からはじまった… 〜横浜の都市鉄道100年のあゆみ〜

神奈川駅前を走る
横浜電気鉄道5型
(絵葉書)
明治後期
横浜開港資料館所蔵

路面電車の市営化を
祝う新聞記事
『横浜貿易新報』
1921(大正10)年
4月2日号より

戦前の横浜市電の
運転系統図
(一部)
1930(昭和5)年
横浜開港資料館所蔵

横浜駅と市電の
路線案内板(右手前)
(絵葉書)
昭和戦前期
当館所蔵

本町通りを走る
横浜市電1150型
1970(昭和45)年頃
山村邦雄氏撮影・寄贈
当館所蔵
それは路面電車からはじまった…
〜横浜の都市鉄道100年のあゆみ〜
横浜電気鉄道の開通
日本に最初の鉄道が開通したのは横浜から東京までで、1872(明治5)年のことである。しかし、それは全国を結ぶための交通機関だった。
都市内の移動手段である路面電車は京都が最初である。続いて名古屋、東京、大阪と開通していき、今からちょうど100年前の1904年、横浜にも路面電車が登場する。当時は「横浜電気鉄道」という私鉄で、横浜商人たちによって設立されたものであった。
最初の開通区間は神奈川−大江橋(初代横浜(現桜木町)駅前)で、翌年には関内地区に路線網を拡げた。その後さらに、本牧や滝頭、弘明寺方面にも線路を伸ばしていくが、料金値上げに反対する市民運動がきっかけで、1921(大正10)に市営化され、横浜市電となった。
電車は電気やガス、水道などと同じく、都市に必要不可欠な社会インフラであり、私企業によって運営されるのではなく、公営化するべきだという考え方が当時、広まりつつあった。大阪は当初より市営だったが、横浜をはじめ他の都市でも路面電車の公営化が進められていた。
横浜市電とその時代
路面電車は横浜市電気局(1946年より交通局)によって運営された。市営化から2年後の1923(大正12)年には、関東大震災が発生し、大きな被害を受けたが、震災復興事業による道路整備と区画整理にともなって路線網を拡張していく。本町線や長者町線、日ノ出町線、花園橋線などが整備され、保土ヶ谷、生麦、六角橋方面などへも線路を伸ばした。
横浜市は1927(昭和2)年に3度目の市域拡張を行って、「大横浜」と称されるようになり、中・神奈川・磯子・保土ヶ谷・鶴見の5区が設置された。広大な市域のうち市街地の部分は、ほぼすべてを市電の路線網がカバーしていた。まさに路面電車が都市交通の主役を担っていたと言ってよいだろう。
だが、1930年代に入ると、バスやタクシーの発達と、郊外電車(東横・京浜・湘南電鉄など、今日の大手私鉄の前身)の都市内乗り入れの影響を受けて、市電の輸送需要は停滞する。そして、戦時下になると、需要は回復するが、空襲によって多くの車両や施設が焼失してしまった。
それでも戦後、市電は市民の足としていち早く復活し、1956(昭和31)年に井土ヶ谷線が開通すると、市電の営業キロは50キロを越えた。1950年代、横浜市電はその最盛期を迎えたと言える。
市電から地下鉄へ
しかし、1960年代になると、自動車の普及とともに道路渋滞が慢性化し、市電の運行は困難になっていった。軌道敷内での自動車の走行が一部で認められるようになると、路面電車は次第に道路から追われていく。
横浜市電は、1966(昭和41)年の生麦線を皮切りに路線の廃止が進み、1972年、横浜市営地下鉄が上大岡−伊勢佐木長者町に開業すると同時に、完全に廃止された。
路面電車は「地下鉄」として生まれ変わったのである。
(岡田 直)