横浜都市発展記念館

ハマ発 NEWS LETTER
  • 開館十周年を迎えて 昭和はじめのスポーツマン

この特集では、

横浜の昭和の野球史を紹介している当館特別展より、

その内容の一部を取り上げます。

昭和9(1934)年、読売新聞社の企画によって、アメリカ大リーグ選抜チームの来日が実現しました。同社は三年前にも日米野球を主催し、成功を収めていましたが、再来日の主砲ルー・ゲーリッグ選手(ニューヨーク・ヤンキース)に加え、今回、そのメンバーにベーブ・ルース選手(ニューヨーク・ヤンキース)が加わったことで日本中が大騒ぎとなります。

ベーブ・ルース選手は、この次の年が現役最後となり、すでに晩年を迎えていましたが、アメリカン・リーグで本塁打王を12回獲得し、通算本塁打数は当時の世界記録でした。まさにアメリカを代表する国民的なスター選手で、日本でもその知名度は抜群でした。

大リーグ選抜チームは11月2日、客船エンプレス・オブ・ジャパン号で横浜港に到着します。横浜からは鉄道で東京へ向かいました。彼らを待ち構えていたのは日本人の大歓迎です。群集にもみくちゃにされながら、大リーグ一行は東京駅から銀座を通り帝国ホテルまでのパレードを行います。

さて、三年前の日米野球の時とは大きく違う点がもう一つありました。それは昭和7年に野球統制令が制定されたことです。日本にはまだプロ野球はなく、前回は対戦相手として、東京六大学野球の選手を中心に「全日本」チームが編成されましたが、野球統制令により学生選手がこうした興業へ参加することが禁止されてしまいました。

そこで今回は、学生OBや社会人の選手を集めて「全日本」チームが結成されることになったのです(このチームが後にプロの球団となります)。そして、東京の神宮球場や大阪郊外の甲子園球場(兵庫県)を皮切りに、横浜を含む全国各地の球場で日米野球の試合が行われました。

第19号 2013年3月
第19号 2013年3月

横浜で行われた日米野球の試合〜『横浜グラフ』(写真帖)より

昭和9(1934)年/当館所蔵

「日米大野球戦」(ポスター)

昭和9(1934)年

/野球体育博物館所蔵

/読売新聞社・主催。

11月4-5、10-11日、神宮球場にて。

第19号 2013年3月
第19号 2013年3月

「日米対抗大野球試合指定席券」

昭和9(1934)年/山岸茂幸氏所蔵

/読売新聞社・主催。

11月18日、横浜公園球場にて。

「日米大野球戦両軍陣容」(チラシ)

昭和9(1934)年/当館所蔵

横浜では11月18日、横浜公園球場において開催されました。試合は全米が21対4で全日本を下します。翌日の『横浜貿易新報』の見出しに、「本塁打の雨に『凄げえなあ』の繰言」とあるように、ベーブ・ルース2本、ルー・ゲーリッグ1本を含む計5本の本塁打を放ったアメリカの圧勝でした。

試合は東京(神宮)、函館、仙台、富山、横浜、静岡(草薙)、名古屋(鳴海)、大阪(甲子園)、小倉、京都、大宮、宇都宮と転戦し、計18回行われました。大リーグ選抜チームはこれら全てに勝利して、圧倒的な力の差を見せつけたのです。それでもこの日米の野球の試合に日本人は夢中になりました。

12月3日、アメリカ大リーグ一行は横浜港を出航、帰国の途につきます。

この日米野球の興業としての大成功が、日本にもプロ野球を誕生させるきっかけとなります。日米野球のために結成された「全日本」チームをもとにして、昭和9年の暮れ、プロ球団の大日本東京野球倶楽部が発足しました。同チームは翌年、アメリカ遠征時にその名を「東京巨人軍(ジャイアンツ)」とします。現在の読売ジャイアンツです。

続いて、甲子園球場を所有する阪神電気鉄道が母体となり、大阪タイガース(現・阪神タイガース)が創立されます。そして昭和11(1936)年、この両チームに名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)、阪急軍(現・オリックス・バッファローズ)、東京セネタース、名古屋金鯱軍、大東京(後にライオン)軍が加わり、計7球団によって日本のプロ野球(当時の呼称は「職業野球」)のペナントレースがスタートします。2年目にはイーグルス、3年目には南海軍(現・福岡ソフトバンクホークス)がさらに加わります。

ところで、戦前はまだ各球団に本拠地の球場があるわけではなく、現在のようにホームのチームとビジターが対戦するというしくみ(フランチャイズ制)はできていません。学生野球の聖地である神宮球場を職業野球が使用することは認められず、その主な舞台となったのは、甲子園球場と、いずれも昭和12年に開場された後楽園球場と西宮球場(兵庫県)の三つでした。これらの球場を中心に、一日に一つの球場で複数のカードが組まれました。もちろん夜間の照明設備もなく、全て昼間の試合です。

第19号 2013年3月
第19号 2013年3月

横浜で開催された職業野球の切符

(「タイガース対阪急軍・内野席招待券」)

昭和14(1939)年/山岸茂幸氏所蔵

/京浜読売会・主催、読売新聞横浜支局・後援。

3月16日、横浜公園球場にて。ただし、これは公式戦ではなく、関西の四球団(タイガース、阪急、南海、ライオン)によるオープン戦の切符。

「後楽園スタヂアム鳥瞰図」

昭和11(1936)年/当館所蔵

/『株式会社後楽園スタヂアム設立趣意書』

(同創立事務所)の付図。

横浜公園球場は、上記の三球場に比べて収容規模が小さく、恒常的に職業野球が使用することはありませんでした。しかし、昭和14年、数試合のみですが、初めてその公式戦が開催されました。それは8月12日の阪急対イーグルス戦とセネタース対巨人戦、そして、13日のタイガース対阪急戦とイーグルス対南海戦、15日のタイガース対セネタース戦と名古屋対金鯱戦、16日のライオン対阪急戦と巨人対イーグルス戦です。

ただし、これらの試合が横浜でどれくらい注目されたのかは定かでありません。翌日の新聞紙面にはスコアが掲載されているだけです。当時、横浜公園球場で毎年、開催されていた横浜高等工業学校と横浜高等商業学校(いずれも現・横浜国立大学)の定期野球戦、いわゆる「ハマの早慶戦」に比べると、その注目度は遠く及ばなかったことだけは確かです。

昭和の前半の時代、職業野球よりも学生野球の方が断然、人気は高かったのです。

(岡田 直)