横浜都市発展記念館

ハマ発 NEWS LETTER
  • [寄贈資料の紹介]

先の展覧会「西洋館とフランス瓦」(2010年1月23日〜5月9日)では、横浜生まれのフランス瓦として知られるジェラール瓦を取り上げ、製造者ジェラールが山手に構えていた瓦工場の近代的な製造システムや、発掘調査で新たに判明したジェラール製の土管などを紹介した。

なかでも来館者の関心が多く寄せられた展示資料は、日本人職人がジェラール瓦を真似てつくった「模倣ジェラール瓦」であった。本物と並べてじっくり見比べると、たしかに違いはわかるものの、屋根に葺かれているだけではほとんど区別がつかない。本家のジェラール瓦以上に発見例が少ない模倣ジェラール瓦であるが、近年、少しずつ新しい資料が発見されている。

博覧会に出品された模倣瓦

フランス人実業家ジェラールが山手の工場で瓦製造を始めたのは、瓦に刻まれた刻印から1873(明治6)年と考えられるが、1877(明治10)年には、早くも日本人職人がつくったフランス瓦が、東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会に出品されている。

表1 第1回内国勧業博覧会に出品された洋瓦

物名 府県名 製額 価額 開業年歴 工名地名 出品人名
 西洋形瓦 東京府      明治八年  深川猿江町  田村三五郎
 仏国形屋瓦 東京府 十万個 二千五百円  明治七年  浅草瓦町  植松金蔵
 西洋形瓦等 東京府      明治十年  本所菊川町
   赤穂太五郎
 明智伊之助
 仏瓦 東京府 三十四
万個
一万二十円  明治七年  足立郡千住駅  小川利右衛門
 西洋形瓦 愛知県      元治元年  尾張国春日井郡
 瀬戸村
 加藤喜七

*坂上克弘・青木祐介「模倣ジェラール瓦の木製押型」『横浜都市発展記念館紀要』第5 号より

博覧会の記録によると、出品者は表1のとおり。「仏瓦」「仏国形屋瓦」という表現から、出品された瓦はフランス瓦と考えられるが、当時日本でフランス瓦を製造していたのは、横浜のジェラール工場以外にはなかったのであるから、これらがジェラール瓦の模倣であることは間違いないであろう。出品者のほとんどが、東京の本所・深川といった江戸時代から瓦職人が多く住んでいた地域の者であるが、陶磁器製造の本場である愛知の瀬戸からも出品されていることに驚かされる。

このとき出品されたフランス瓦の詳細は、写真も現物も確認されていないため不明であるが、これらの出品者との関係が推測される模倣ジェラール瓦の存在は、以前から知られていた。

第15号 2011年1月

1 旧柳下家

住宅洋館に葺かれた

模倣ジェラール瓦

刻印された職人の証

ジェラール瓦の裏面に製造者ジェラールの名前が刻まれているように、模倣ジェラール瓦のなかにも、裏面に日本人職人の名前が刻まれたものがある。

たとえば横浜市指定文化財である旧柳下家住宅(磯子区下町、図1)に葺かれていた模倣ジェラール瓦には「赤穂製」の刻印をもつものがあり、前述の博覧会記録に登場する本所菊川町の「赤穂太五郎」との関係が推測されている(岡本東三「開港横浜で生まれた仏蘭西瓦」『横浜市歴史博物館紀要』6号)。

また展覧会「西洋館とフランス瓦」では、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻が所蔵する三種類の模倣ジェラール瓦を初めて公開したが、そのいずれにも職人の名前が刻まれている。

ひとつ目の刻印は「植松直正製」(図2、3)。これは博覧会出品者のうち、浅草の植松金蔵とのつながりを想像させる。これと同じ刻印をもつ模倣ジェラール瓦が、学習院大学史料館にも保管されており、いずれも1877(明治10)年に東京虎ノ門に建てられた工部大学校講堂の屋根に葺かれていたと考えられる。

ふたつ目の刻印は「鈴木十兵衛製造」(図4)。こちらは現時点で出品者に直接つながる情報は得られていない。

そして最後の刻印は「GohonmatsouTamoura Seioe」(図5)。アルファベットで刻まれた唯一のものである。最初の二語は「ゴホンマツ タムラ」と読むのであろう。「ウ」の発音をフランス語のように「ou」と表記している点が注目される。最後の「Seioe」は「セイ」=製と読ませるのであろうか。

第15号 2011年1月
第15号 2011年1月
第15号 2011年1月
第15号 2011年1月

2 模倣ジェラール瓦

(東京大学大学院工学系研究科

建築学専攻所蔵)

3 刻印

「植松直正製」

(同左)

4 刻印

「鈴木十兵衛

製造」

(同左)

5 刻印「Gohonmatsou Tamoura Seioe」

(同左)

第15号 2011年1月

6 『名所江戸百景』より

「小名木川五本まつ」

(神奈川県立

歴史博物館所蔵)

「五本松田村」とは

最後の「Gohonmatsou Tamoura」の刻印については、田村という名前から、先の博覧会出品者の「田村三五郎」との関係が想像されるが、その推測をさらに確かなものにしてくれるのが、田村の前に付けられた「Gohonmatsou」の語である。

「Gohonmatsou」=五本松と考えてみると、江戸時代後期の名所案内『江戸名所図会』や安藤広重の『名所江戸百景』などに描かれた江戸の名所のひとつ、小名木川沿いの五本松の存在にいきあたる(図6)。かつては五本あったと伝えられる松の大木で、1907(明治40)年に枯死したのち、09(同42)年に切り倒されたという(江東区教育委員会『江東区の文化財 史跡』)。

五本松があった場所は、現在の地名でいえば東京都江東区猿江2丁目にあたり、明治時代の町名は深川猿江町であった。1909(明治42)年発行の『新撰東京名所図会 深川区之部三』には、当時の深川猿江町が「小名木川通り五本松」と称されていたことが記されている。

博覧会にフランス瓦を出品した田村三五郎の住所が「深川猿江町」であったことを考えれば、この「Gohonmatsou Tamoura」製の模倣ジェラール瓦は、五本松すなわち深川猿江町の田村三五郎の手になる可能性が高いのではないか。もちろん同じ名字の同業者(たとえば血縁者)が同じ町にいなかったとは限らないが、この模倣瓦は、「植松直正製」の刻印をもつ瓦とともに、博覧会に出品されたフランス瓦を類推する重要な資料として位置づけられるであろう。

なお、五本松に関する参考資料については、東京都江東区文化観光課文化財係の野本賢二氏からご教示いただいたものである。野本氏からは展覧会の会期中に、江東区でも1996(平成8)年に遺構確認調査がおこなわれた亀戸の浅間神社境内で、模倣ジェラール瓦とみられる破片が出土していることを教えていただいた。遺物はわずかな破片ではあったが、既報の模倣ジェラール瓦とは細部に違いがみられ、新型の発見を予感させるものであった。貴重な情報をくださった野本氏に感謝したい。

模倣ジェラール瓦の存在は、伝統的な瓦製造の現場にジェラール瓦が与えた影響を考えるうえで、今後、ますます重要になってくるであろう。これからの発見は、ここ横浜よりも、近世以降の発掘調査を実施している東京で増えてくるのではないだろうか。

(青木祐介)

[寄贈資料の紹介]

平成22年6月以降に新しく寄贈していただいた資料です。(敬称略)

  寄贈資料名 点数 寄贈者
 御幸煉瓦製造所製煉瓦 17 増山�T一
 鉄製銘板 2 増山�T一
 煉瓦(千代崎町出土) 5 古屋一郎
 実用吸入器 1 天川勝三郎
 横浜郵便局名入り湯呑 2 天川勝三郎
 郵便葉書・切手[一括] 36 天川勝三郎
 鈴木家文書 12 鈴木 健
 横浜関係絵葉書[一括] 12 小島 淳
 復興博記念絵葉書[一括] 16 小島 淳
10  横浜中央電話局新築移転記念(絵葉書) 2 阿部邦夫
11  横浜関係写真[一括] 16 小島 淳
12  二俣川駅附近明細図 1 阿部邦夫
13  横浜町名交通辞典 1 徳江 茂
14  横浜市電乗車券 14 徳江 茂
15  山下公園にてのスナップ写真 1 折原永子