横浜都市発展記念館

ハマ発 NEWS LETTER
  • モダン横濱案内
第15号 2011年1月

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吉田初三郎画

「伊勢佐木町通り」

(絵葉書)

昭和10年 当館蔵

第15号 2011年1月

関東大震災からの復興が急ピッチに進んでいた昭和はじめの横浜。

街には鉄筋コンクリート造りの建物が立ち並び

近代的な都市風景が姿を現しはじめていました。

ほぼ同時期に「モダン」と言われる新しい文化と

生活スタイルが都市部を中心に世界的に広まりつつありましたが、

それは横浜の街にも入り込んでいました。

今回の特別展「モダン横濱案内」は、

昭和初期の横浜の商業・娯楽施設を中心に、

横浜の街のモダンな様相とそこに集う人々の姿を点描しています。

本稿では特別展で紹介しているトピックと資料を数点取り上げて、

横浜のモダニズムに見られるいくつかの側面について

考えてみたいと思います。

デパートのダイレクト・メール

震災後のモダン都市を象徴する施設は、伝統的な呉服店から近代的な設備・方式に衣替えをしたデパートでした。横浜では伊勢佐木町の野沢屋、吉田橋際の松屋がデパート界の「両雄」と評されます。今回の展示では、

本誌前号

で紹介した小説家・久米正雄が旧蔵していた資料(今回の展示が初公開となります)から、この二つのデパートが顧客(久米)に送ったダイレクト・メール類も出展しています。

第15号 2011年1月

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横浜松屋が発行した七五三関連の商品のちらし

1930年代 当館蔵(久米正雄関係資料)

なかでも注目したい資料がこの「七五三お祝ひ支度品陳列」(横浜松屋発行)です。七五三の晴れ着というと現在ではむしろ和装が中心ですが、この広告ちらしを見ると、母親と右端の女の子は伝統的な和服を着ているものの、母親の両側の子どもは洋服を着ているのが見てとれます。また、ちらし左側の七五三関連の商品リストを見るとおよそ半分が洋装品で占められています。デパートは七五三という伝統的な季節行事において、和服だけではなく洋服も紹介し、子どもから洋服の普及をねらっていました。この七五三の広告ちらしは、伝統的な生活文化にさえ入り込もうとしていたモダニズムの姿をはからずも象徴的に描き出しているのです。

ダンスホール

モダン都市の夜の晴れ舞台はダンスホールでした。昭和初期のダンスホールは女性ダンサーを雇い、ホールを訪れた客はダンス・チケットを購入し好みのダンサーを指名して一緒に踊るという、アメリカに由来するシステムを採っていました。

第15号 2011年1月

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太平洋ダンスホールの仮装舞踏会

昭和10年 中村恵子氏蔵

展示では、横浜のダンスホールの内部を写した写真も何点か出展していますが、そのうちのひとつがこの太平洋ダンスホール(山下町)でおこなわれた仮装舞踏会の際の記念写真です。並んでいる人物の後段中央から右にかけてアメリカの水兵らしき外国人の姿が写っていますが、このホールは港に近いため外国人客が多く「異国のホールにでも居る様なエキゾチツクな匂ひ」が感じられたと当時の雑誌で評されています。

いっぽう壁上部と天井が接するあたりに、ホール全体の雰囲気とは不似合いな江戸時代の浮世絵のような絵画が飾られているのが確認できます。横浜のダンスホールは日本人にとって「西洋」というエキゾチシズムを味わうことのできる場でしたが、外国人に向けては「日本」というエキゾチシズムを感じさせる必要があったのではないかと思われます。このダンスホール場内の写真は昭和初期のモダニズムの一断片を写し取ったものですが、日本人と欧米人それぞれにとっての「エキゾチツクな匂ひ」が画面に写し込まれているという点、モダン都市横浜の個性を考えるうえでひとつの手がかりとなります。

横浜の女性

昭和初期のモダンな風俗のうちもっとも一般に知られているのは「モダン・ガール」(モガ)の存在、あるいは女性の洋装化でしょうか。横浜の女性については、「あまりに美しすぎる外国の婦人たちに接しすぎるため思ひ切つた粧ひをするのに憶病になるといふ」「(横浜のダンサーは)国際港らしくフランク」といった評を昭和初期の雑誌にみることができますが、いずれも横浜の国際港という性格と絡めてその個性が考えられている点は興味深く感じられます。

第15号 2011年1月

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山田喜作画「真夏の港」

昭和7年 島根県立石見美術館蔵

これらの雑誌の言説と関連して注目したい絵画が山田喜作画「真夏の港」です(本作品の背景は横浜とされています)。ここで画家は前景の女性や小道具に昭和初期のモダンな要素を描き入れていますが、その遠景に異国情緒あふれる港町風景(震災以前の街並のイメージの断片を組み合せたように見えます)を配しています。昭和初期のモダンな女性像の背景を描くにあたって、画家は横浜の国際港(エキゾチシズム)という個性を援用したかったのではないでしょうか。けれども、現実の昭和初期の街並ではなく、震災以前のエキゾチシズムがより濃く漂う街並の方が主題を強めると判断して、同じ時期には存在しなかった近景と遠景を画面上で融合させたように見えます。この絵画はモダニズムと、モダニズム以前の横浜のエキゾチシズムを弁別するうえで示唆をあたえてくれます。

横浜はモダニズムが入り込む以前よりエキゾチシズムを個性とする街でした。それとともに市民の多くは伝統的な生活を続けていました。従来のエキゾチシズムや伝統的な生活が昭和初期のモダニズムの流入によって、どのように変容したのか、あるいは融合したのか。現在の都市横浜の個性の成り立ちを考えるうえで今後検討していきたい課題です。

*引用した史料と参照した研究文献については紙幅の関係から省略しましたが、ご興味のある方は

特別展関連刊行物『モダン横濱案内』

をご参照ください。