- 長野宇平治と大倉精神文化研究所
全国でも有数のクラシックホテルとして知られるホテル・ニューグランドは、関東大震災後の復興事業のなかで生まれた名建築のひとつである。震災で横浜を離れた外国人を招致するために計画された同ホテルは、1927(昭和2)年に、現在地の山下町10番地に開業した(図1)。



図1 創業当時のホテル・ニューグランド
『第20回関東東北医師大会記念写真帖』
(1930年)より
図2 増築後の
ホテル・ニューグランド
当館所蔵絵葉書
図3 屋上庭園
“Hotel New Grand”
(当館所蔵)より
ホテルの設計者は、東京有楽町の第一生命館(現・DNタワービル)や銀座の服部時計店(現・和光ビル)などで知られる建築家渡辺仁であるが、その後の増築工事で、横浜ゆかりのアメリカ人建築家モーガン(Jay H. Morgan)が関わっていることは、意外に知られていない。
1920(大正9)年に来日したモーガンは、1926(大正15)年以降、横浜に設計事務所を構え、1937(昭和12)年に亡くなるまで多くの建築を横浜に残した。現存するものでは、山手のクライストチャーチ(現・横浜山手聖公会)やラフィン邸(現・山手111番館)、ベリック邸(現・ベーリックホール)などがよく知られている。
モーガンがホテル・ニューグランドの設計に関わったのは、1933(昭和8)年に増築された屋上階の部分である(図2、3)。横浜開港資料館が所蔵するモーガン建築図面のなかには、この増築工事に関する図面が多数含まれており、実施にいたるまでのモーガンの設計プロセスがうかがえて興味深い。


図4 増築計画図〔立面図〕 1933年7月
横浜開港資料館所蔵
図5 計画案 1930年4月
横浜開港資料館所蔵
図4は実施案、図5はその前段階で計画された2案のうちのひとつである。計画案は瓦屋根が載った形から、一見和風の趣を感じるものの、書き込まれた仕様には“spanish tile roof”とあり、屋根にはスペイン瓦が想定されている。
ラフィン邸やベリック邸など、現存する山手の洋館からわかるとおり、多彩な建築様式の使い手であったモーガンにとって、スパニッシュは得意とする様式のひとつであった。計画案に見られる四つ葉形の窓は、現存するベリック邸(図6)に同じものが見られるし、実施案の軒下にめぐらされた装飾タイルもベリック邸に共通するものである。自身が得意としていたスパニッシュの細部を、さまざまな建築の設計過程で試していたことがうかがわれる。

図6 ベリック邸(現・べーリックホール)
この増築工事によって、モーガンは東洋一と謳われた重厚なホテル・ニューグランドに対して、外観の印象に大きな変化を加えることなく(計画案であればずいぶん印象は変わったと思われるが)、瀟洒なスパニッシュの魅力を付け加えたといえるだろう。
なお、昭和戦前期のホテル・ニューグランドを撮影した写真や絵葉書は多数知られているが、モーガンによる1933(昭和8)年の増築部分の有無が、年代判定のひとつの基準となることを蛇足ながら付け加えておきたい。
(青木祐介)