- ダムに沈んだ村・宮ヶ瀬の風景
ダムに沈んだ村
宮ヶ瀬の風景
横浜市街から西へ40キロ、相模川上流の支川・中津川に首都圏最大の規模を持つ宮ヶ瀬ダムと巨大なダム湖(神奈川県愛甲郡清川村・愛川町・相模原市)があります。横浜市を含む県内東部の15市7町に水道水を供給する神奈川県の水がめです。横浜の近代水道はイギリス人技師パーマーによって明治20(1887)年に開かれましたが、そのときも相模川上流(現相模原市津久井町三井)から取水されています。水道を通じて横浜と相模川上流の水源地帯は歴史的に深いつながりがありました。
宮ヶ瀬ダムの工事は昭和62(1987)年にはじまり、平成13(2001)年に完成しました。水が蓄えられてダム湖が姿を現すとともに、それまで人が生活を営んでいた村は山あいに沈んでいきました。今回紹介する写真(堀江忠男氏撮影・寄贈)は昭和55年から60年頃に撮影されたありし日の宮ヶ瀬(清川村)の風景です。観光地としてにぎわいを見せるダム周辺ですが、その湖底にはダム建設のために故郷を失った人々とその暮らしがありました。


1 宮ヶ瀬村北地区の萱(かや)葺きの家
宮ヶ瀬では古くから葺き草はススキ、麦わらだった。村共有の萱場から萱を刈り、村人が協力して毎年2戸ずつ屋根の萱を替えた。
2 落合地区の熊野神社と子供たち
毎年9月5日に熊野神社(村社)の祭りがおこなわれた。祭りの日に雨が降ることは「長者の涙雨」と呼ばれて喜ばれた。


3 炭焼き用の材木
宮ヶ瀬ではかつてほとんどの家が炭焼きで生活をしていた。9月から翌春までが炭焼きの季節だった。
4 店前に貼られたイノシシの皮
戦前から戦後にかけては毛皮がよく売れ、横浜貿易の業者が冬になると月に1度やってきた。また、終戦直後には進駐軍の兵士が狩猟のため宮ヶ瀬に遊んだ。


5 萱葺きの家と家人(宮が瀬馬場)
6 宮ヶ瀬の土産物屋
宮ヶ瀬の中津渓谷は昭和初期に横浜貿易新報主催の県下45佳選に入選。戦後にも毎日新聞主催、日本観光地百選・渓谷の部4位に選ばれた。その頃より観光客が増え始め、土産物屋もできた。
〈参考文献〉
ふるさと宮ヶ瀬を語り継ぐ会編著
『ふるさと宮ヶ瀬―渓谷の村から』(夢工房、1997年)
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