- 〜常設展示より 昭和はじめの野澤屋百貨店
横浜松坂屋のルーツ
本年(2008年)10月26日、伊勢佐木町を代表する百貨店として親しまれてきた横浜松坂屋が閉店しました。同店のルーツは元治元(1864)年、弁天通り二丁目に茂木(もぎ)惣兵衛が創業した野澤屋呉服店にさかのぼります(創業年には諸説あります)。野澤屋は明治43(1910)年に伊勢佐木町一丁目に支店を開設、大正10(1921)年には鉄筋コンクリート造4階建ての新館を現在地に竣工させ、横浜の百貨店で東京の三越、京都の高島屋に肩をならべることができるのは、野澤屋ぐらいだと言われたのです。
百貨店の時代
大正末期から昭和のはじめにかけて、百貨店は都市生活のなかで大きな位置を占めていきます。『横浜貿易新報』(昭和9(1934)年11月7日)はデパートを「近代生活党のオアシス」と評し、「見合によし、ランデヴーの待合せによし」と観察しています。洋服を着たモボ・モガが伊勢佐木町を闊歩(かっぽ)したこの時代、デパートは物を売るだけの場所ではなく、社交の場あるいは家族の行楽の場としても重要な役割を果たしていました。
野澤屋の古写真



1 野澤屋ダイレクトメール
添田有道氏所蔵
2 野澤屋と横浜・桜木町駅を結ぶ送迎バス
当館所蔵
3 野澤屋の
メッセンジャー・
ボーイ
当館所蔵
写真
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は昭和10年末の野澤屋の年末年始の贈答品カタログです。洋装の女性のイラストからモダニズムの香りが漂ってきます。写真
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は横浜駅・桜木町駅と野澤屋を結ぶ無料送迎バスです。昭和3年から運行が開始され、横に並ぶ洋服の女性車掌たちは東京の松坂屋銀座店で指導を受けています。写真
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は野澤屋のメッセンジャー・ボーイで、華やかな服装で街を自転車で飛び回り、子供たちの憧れの的となりました。
昭和初期の伊勢佐木町近辺には野澤屋以外にも寿百貨店・松屋・相模屋などの百貨店があり、横浜の文化と活気を生み出していました。戦後横浜駅周辺の発達にともなって伊勢佐木町は往時のにぎわいを少しずつ失っていきますが、横浜松坂屋の閉店は横浜の繁華街の変遷を物語る象徴的な出来事に感じられます。
〈参考文献〉
『横浜市史II』第1巻下(横浜市、1996年)
平野正裕「実業雑誌と『実業之横浜』」『開港のひろば』第98号(2007年)
ノザワ松坂屋編『野沢屋から横浜松坂屋へのあゆみ』(有隣堂、1977年)
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