- 横浜の都市鉄道 〜震災復興から地下鉄開通まで〜

湘南電鉄(絵葉書)
昭和初期
横浜開港資料館所蔵

東京横浜電鉄の
宣伝ポスター
昭和初期
当館所蔵

「湘南電鉄沿線名所図絵」
(一部)
1930(昭和5)年
横浜開港資料館所蔵

「横浜市建設計画図」
(一部)
1949(昭和24)年
当館所蔵

元町付近を走る横浜市電
(後ろは山手トンネル)
昭和40年代
山村邦雄氏撮影・寄贈
当館所蔵
横浜の都市鉄道
〜震災復興から地下鉄開通まで〜
今年は関東大震災からちょうど80年目にあたる。横浜都市発展記念館ではそれにあわせて、企画展示「横浜リバイバル−震災復興期のまちづくり−」(3月15日〜6月29日)を開催した。これまで横浜の震災復興は、関内地区や横浜港など中心部を舞台に語られることが多かったが、この展示では、当時の横浜市域外であった郊外部にもスポットをあてた。その多くは農村地域であったが、震災による打撃を克服するためさまざまな振興策が試みられ、工場の立地や住宅地の開発が進んでいった。
だが、とりわけ注目しなければならないのは交通機関、特に鉄道(郊外電車)の発達であった。郊外電車は、市域を越えた通勤・通学や買い物など、日々の移動を容易にし、農村を都市の郊外に変容させていった。
ここでは震災復興期の郊外電車から、戦後の地下鉄開通に至るまで、横浜の都市鉄道のあゆみを概観してみたいと思う。
震災復興と郊外電車の発達
都市から郊外への鉄道網の発達は、1920年代から30年代にかけて全国の大都市でみられた。だが、特に横浜や東京の場合、それがちょうど震災復興期と重なり、より急激なものとなった。
震災以前の横浜にあった鉄道は、省線(国鉄)の東海道本線と横浜線、京浜電鉄(現京急)だけである。東海道本線には桜木町から東京方面に向けて省線電車が走っていたが(後の京浜東北線)、京浜電鉄は神奈川が出発駅だった。横浜の都市内の交通は主に路面電車(市電)が担っていた。
震災後、郊外電車の発達の先がけとなったのが、東京横浜電鉄(現東急)だった。1926(大正15)年に神奈川(現在廃止)から丸子多摩川(現多摩川)まで開通し、翌年に渋谷まで開通した。厚木から二俣川まで開通していた神中鉄道(現相鉄)も、1929(昭和4)年には西横浜まで乗り入れた。神中鉄道はこの時点では未電化だったが、実質的に郊外電車と同じ機能を担った。さらに1930(昭和5)年には湘南電鉄(現京急)が開業。黄金町を起点にして横須賀、浦賀、逗子方面へ電車を走らせた。
しかし、郊外から関内や伊勢佐木などの中心部へ行くには、乗客は神奈川や西横浜、黄金町でいずれも市電に乗り換える必要があった。郊外電車にとって大きな課題は、都市の内部に入りこみ、少しでも便利な場所にターミナルを設置することだった。
都市に乗り入れる郊外電車
最初にそれを果たすのは東京横浜電鉄である。同社は神奈川から、高島町にあった横浜駅裏までの線路敷設の免許を取得していた。震災後に行われた横浜駅の移転により、その計画は大きく狂わされたが、結局、東京横浜電鉄は1928(昭和3)年、横浜駅が移転するとともに、神奈川からこの新しい横浜駅を経由して旧横浜駅付近に至る路線を開業、終点を「本横浜(ほんよこはま)」とした(後の高島町駅)。その4年後、さらに線路を延伸して、桜木町に到達。中心部へのアクセスが可能になった。
続いて、京浜電鉄は1930(昭和5)年、湘南電鉄は1931(昭和6)年、神中鉄道は1933(昭和8)年にそれぞれ横浜駅への乗り入れを実現する。「湘南電鉄沿線名所図絵」には、黄金町から横浜市街を高架で縦断して桜木町駅に接続するルートと、関内方面を経由せずに横浜駅に直結するルートの二つが予定線として描かれている。詳細な経緯は省略するが、後者の案のみが実現したことになる。
ただし、昭和初期の横浜駅は倉庫や資材置き場、運河に囲まれた殺風景な場所にあり、必ずしも都市の中心部と呼べるところではなかった。乗降客数も桜木町駅の方が多かった。それでも、市内のほぼ全ての鉄道が結集した横浜駅は、戦後、横浜の中心に変わっていく。
「地下鉄」の登場
都市内に乗り入れた郊外電車は高架もしくは地下を高速で走り、路面電車の大きなライバルとなった。横浜では専ら高架式だったが、京都や神戸などでは昭和初期から、地下に郊外電車が乗り入れた。これらは区間は短いが、「地下鉄」の元祖であると言える。
だが、いわゆる「地下鉄」、つまり本格的な都市内の高速鉄道は、やはり東京が最初である。1927(昭和2)年、上野−浅草間に東洋で唯一の地下鉄が開業した。東京地下鉄道という民間会社によって建設され、やがて日本橋、銀座、新橋方面へと延伸していく。これとは別に渋谷から新橋までを開通させた東京高速鉄道とともに、今日の東京地下鉄銀座線となる。
すでに路面電車の輸送力が飽和状態になっており、それに代わる新たな交通機関として登場したのが、「地下鉄」なのである。

横浜市営地下鉄
開通記念切符
1972(昭和47)年
榎本敏雄氏寄贈
当館所蔵
横浜に地下鉄が走る
では、横浜はどうだったのだろうか。横浜に地下鉄を走らせる構想は終戦直後にあったようである。「横浜市建設計画図」には、今日とはルートが異なるが、関内・関外地区を地下で縦断し、郊外は高架で走って市域を循環する高速鉄道の計画路線が示されている。
しかし、計画が具体化するのは、高度成長期に入った1960年代である。自動車の普及とともに道路渋滞が慢性化し、市電の運行は困難になっていた。その代替として市営地下鉄の建設は始まった。
そして、1972(昭和47)年、横浜で最初の地下鉄が上大岡−伊勢佐木長者町間に開業する。同時に市電は全て廃止された。その4年後には横浜−上永谷間が全通、続いて線路を新横浜、あざみ野方面、および戸塚方面へと伸ばしていき、1999(平成11)年、戸塚−湘南台間が開業して市営地下鉄は現在の姿となった。
さらに、2004(平成16)年2月1日、横浜に新しい地下鉄が誕生する。横浜高速鉄道「みなとみらい線」(横浜−元町・中華街)である。みなとみらい線は東急東横線と相互直通し、私鉄の関内地区乗り入れがようやく実現することになる。
同線の「日本大通り」駅と直結する横浜都市発展記念館では、開通を記念して、企画展示「横浜地下鉄物語」を開催する予定である。元町・中華街駅のデザインに使用されている明治期の絵葉書などを展示するとともに、横浜の地下鉄の歴史をたどってみたいと思う。みなとみらい線や市営地下鉄、郊外電車はもちろん、横浜市電も大きく取り上げ、横浜の都市鉄道全体にスポットをあてるつもりである。
(岡田 直)