
横浜市鳥瞰図肉筆画
(部分)
吉田初三郎・作
1935(昭和10)年
横浜商工会議所所蔵
ごあいさつ
江戸時代、外国の文物に触れたければ、はるばる長崎まで行かなければなりませんでした。横浜の開港によって、江戸のすぐ近くに、外国に向かって開かれた窓が出現したのです。長い鎖国の間、好奇心が抑圧されていた人々
にとって、それが興味を引かないわけがありません。開港直後から、江戸の出版業者によって、新開港場の様子を描いた絵図や浮世絵が大量に出版されるようになります。
開港の翌年、1860(万延元)年閏3月に、当時の売れっ子絵師、橋本玉蘭斎(五雲亭ともいう)貞秀が『横浜土産』という絵本を描いています。やはり当時の売れっ子作家、仮名垣魯文が寄せた序文には、次のように記されています。
「実地を踏で勝景を眺望(ながむる)は一本の杖にあり、居ながらにして名所を知ること一書の図会(ずえ)に不如(しかず)、画工玉蘭斎主人、こたび南島を歴して繁昌の港を画き、号(なずけ)て横浜土産と称す、未た見ぬ人の枝折(しおり)にせんとの例の婆心(うばこころ)ならんかし」
横浜のことを「南島」と呼んでいるのはおもしろい表現です。江戸からみて、長崎がはるか南の孤島のようなものだとすれば、横浜は近くに出現した火山島のようなものとしてイメージされていたのでしょうか。
横浜は開港以来、多数の外来者を受け入れる町でした。主要輸出品の生糸が出回る季節ともなれば、各地から仲買人などの荷主が集まり、外国からもバイヤーがやってきました。世界旅行が盛んになると、東回りと西回りと、世界一周を目指す両方の人々が横浜を訪れ、外国人居留地のホテルが賑わいました。
横浜という都市は、生まれも育ちも観光地だったと言えるでしょう。