| 【主催】 | 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団(横浜都市発展記念館) |
|---|---|
| 【後援】 |
横浜市浴場協同組合 |
| 【会場】 | 第1会場 横浜都市発展記念館1Fギャラリー 第2会場 4F常設展示室 |
| 【開館時間】 |
午前9時30分~午後5時(券売は午後4時30分まで) |
| 【休館日】 |
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日) |
| 【観覧料】 |
第1会場:無料 第2会場:200円 |
※当館へのアクセスは、利用案内をご覧ください。
2024(令和6)年元日、能登半島の先端を震源とするマグニチュード7.6の地震(令和6年能登半島地震)が発生し、志賀町や輪島市で震度7を記録するなど北陸地方は大きな揺れに襲われました。津波や土砂崩れ、大規模な火災等によって甚大な被害が生じ、被災地では現在も不自由な生活を送られている方が多くいらっしゃいます。
横浜から能登半島は遠く離れた場所にありますが、深いつながりがあります。
特に横浜市内で銭湯を営み、支える人びとの中には能登半島にルーツを持つ人が多くいました。現在も石川県の鹿島郡や羽咋郡、七尾市の神社には、石鳥居や狛犬、灯籠に「横浜」の文字が刻まれています。横浜で成功した銭湯経営者は、郷里への恩返しとして積極的に寄付を行い、それを見た人びとがさらに横浜へ移住するという流れができていました。横浜市民の公衆衛生は主に能登半島の出身者によって支えられていたのです。しかしながら、今回の地震によって銭湯経営者の残した石造物(文化財)の多くも失われました。
1859(安政6)年の開港以降、国内外を問わず、横浜の地は様々な地域からの移住者を受け入れることで、コミュニティを構築してきました。能登半島のように、都市への移住者を通じて、横浜は様々な地域とつながっています。本展示では、写真資料を中心に銭湯を通じた能登半島と横浜のつながりを紹介します。
第1会場 故郷への想い
Ⅰ.能登半島に残る「横浜」
Ⅱ.横浜のなかの「能登半島」
第2会場 カメラマンがとらえた昭和30年代の銭湯―広瀬始親写真から―
Ⅰ.銭湯へ行こう!
Ⅱ.開店準備
Ⅲ.仕舞湯
西区「朝日湯」のペンキ絵(能登・見附島) 丸山清人氏画
中能登町久江・久氐比古神社 2017(平成29)年11月撮影
能登半島とゆかりのある西区「朝日湯」 2019(令和元)8月 澤井誠氏撮影

