横浜都市発展記念館とは

横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館の建物は、1929(昭和4)年に横浜中央電話局の局舎として建てられた歴史的建造物です。戦後も、横浜市外電話局として長く利用されていましたが、NTTの移転を機会に、横浜市の施設として保存活用されることになったものです。平成12年度には、「旧横浜市外電話局」として横浜市認定歴史的建造物となりました。
設計と建築様式の変遷
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設計は、当時新鋭の建築家たちを数多く擁していた逓信省で、大正時代に建設が進められていた中央電話局の局舎は、表現主義の影響が色濃く出たデザインでした。ところが、竣工直前の1923(大正12)年、関東大震災によって大きな被害を受けてしまい、局舎の工事は再開することなく、新しいデザインで再建されることになりました。それが、現在の建物です。
設計を担った建築家とその特徴

新局舎の設計をおこなったのは、横浜出身の技師中山広吉(1896-1987)で、戦後も長きにわたって郵政省の営繕組織を率いた建築家です。
新局舎は、以前のものとは大きく異なり、外壁には濃茶色のタイルを全面に貼り、装飾を控えた堅実なデザインでありながら、2階から4階をまとめる柱型や、水平に走る石の装飾帯などに古典主義様式の構成を残すなど、昭和戦前期の逓信省特有の意匠が認められます。


電話局としての内部構造

電話局としての機能から、各階の階高は少しずつ異なっており、事務室や交換手の休憩室が設けられていた2階・4階に比べると、事務室のあった1階、そして電話交換器が置かれていた3階は、天井が高くとられています。竣工当時の写真からは、交換手が休まるようにデザインされたという4階の休憩室や、1階の事務室の様子がうかがえます。




建物から読み解く都市横浜の歩み
2001年からはじまった改修工事では、本町通り・大桟橋通りに面するタイル貼りの外壁を現状のまま保存しました。建物の顔となる外観としては、やや古びた表情をしていますが、それはこの建物が経てきた年月の証といえるものです。当館の展示とともに、建物の姿からも、都市横浜の歴史を感じ取ってもらえればと思います。




