都市のにぎわい
ヨコハマのまちのありさまは、伝統を残しつつも関東大震災をきっかけに大きく変わった。震災後のまちの様子を紹介する。

『横浜グラフ』(1934年)より 当館所蔵
横浜港は、外国人旅行者が最初の一歩をしるす一方で、海外に新天地を求める日本人が祖国をあとにする場所でもあった。

『横浜グラフ』(1934年)より 当館所蔵
写真中央が野沢屋百貨店(現横浜松坂屋)。

1930(昭和5)年頃 横浜開港資料館所蔵
ヨコハマのまちのありさまは、伝統を残しつつも関東大震災をきっかけに大きく変わった。震災後のまちの様子を紹介する。
ヨコハマを遊ぶ
都市には店や娯楽施設があり、人びとの生活を豊かなものにした。震災後、ヨコハマは、一方では東京の影響をうけつつも、独自の「遊び」の空間を形成した。

1911(明治44)年に長者町に開館した洋画専門の映画館で、輸入フィルムをいち早く上映することで東京にもファンが多かった。

『横浜グラフ』(1934年)より 当館所蔵
1934(昭和9)年、横浜で行われた日米野球第9戦でニューヨーク・ヤンキースの強打者ベーブ・ルースは2本の本塁打を放った。この年、大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)が創立された。

1925(大正14)年 横浜開港資料館所蔵
1914(大正3)年に鶴見に開園した花月園は、関東における郊外型大型遊園地の先がけだった。現在は競輪場となっている。